謎のククテニ文明ククテニ文明は新石器時代後期の東ヨーロッパの考古文明である。ヨーロッパ初の大文明として認められ、紀元前5500年頃に栄え始めた後、紀元前2750年ごろまで続いた、3000年間に及ぶ大文明である。ククテニ文明を作った民族は農耕民族で、農耕、牧畜、狩猟と漁労を中心に生活していた。しかし、単純に生活していただけではなく、驚くほどの芸術的才能を開花させた、平和主義の民族だったのだ。
文明が栄えた中心地にはヤシ(Iasi)県ククテニ (Cucuteni) 村、最東端にはウクライナのトゥリポイェ (Tripolje) 村、最西端には私の故郷であるコヴァスナ (Covasna) 県アリウシュド (Ariusd) 村がある。ククテニ文明は「ククテニ アリウシュド文明」又は「ククテニ トゥリポイェ文明」と呼ばれることもあるが、この三つの呼び方は同じ文明を指している。
ククテニ民族は武器を持たず、3000年間に渡る平和主義の大文明を築いたことがこの文明の一番大きな謎であろう。古代の歴史を考えると、軍隊や武器を持たずに3000年間も生き残るのは不可能に違いないはずだが、武器の遺跡は一切発見されていない。残っているのは優れた芸術作品、デザインが施された陶器、ワイン用の壺、不思議な「生命のカレンダー」や農業に使う様々な道具などだ。彼らは比較的大規模な集落に居住し、中には人口が一万人を超える都市もあったが、不思議なことに身分階級は見られない。
武器や戦争もなく、身分階級もなく、現在の美的感覚にも通じるレベルの高い芸術作品を数え切れないほど残している『ククテニ文明』。陶器に美しい文様は鮮明に書かれ、全てのデザインが滑らかに表現されている。尖った部分はほとんどない。流円形でありながら、洗練され、力強いフォームに仕上がっている。現在のルーマニア風の建築にも流円形が多く見られ、ルーマニア人も日本人と同様に「円形」が好きなのである。ルーマニア人の円形に対する興味のルーツはククテニ文明まで遡るのだろうか? 陶器以外に目を引くのが女性のフィギュアである。7000年前からの女性のフィギュアにも関わらず、極めて美的で美しい。その曲線美は全て現代の美的感覚に通じるものであろう。
ククテニ文明が発見されたのは最近(1884年)で、エジプトやギリシャ文明のように表舞台にたったことはなかったが、これからはもっと注目を浴びるだろう。武器もなく、身分階級もなく、平和と芸術を中心に3000年もの間栄えていたこの文明は、自分たちは「人間であること」をよく理解していたのであろう。 私たちが学ぶべきことは多くあると思う。
実は、ククテニ文明はルーマニアの小さな村でまだ生き続けている。7000年前と全く同じデザインの陶器が未だにククテニ村の職人たちの手で作られている。彼らは7000年間、何千世代に渡ってずっと作り続けてきた。ククテニ陶器の要である伸びやかな曲線の文様と流円形は、昔も今も人々を魅了させている。一度目にすることがあれば、その色彩感を忘れられないであろう。ルーマニアのククテニ村でしか手に入らない陶器を何個か手に入れて、日本に連れ帰った。 豊橋の店と横浜の店に3個ずつ展示してあるので、次回ご来店いただいた際にはぜひ手にとって感じてみてほしい。
日本語のククテニ文明のドキュメンタリーはまだ作られていませんが、英語分かる方は下記のビデオをご覧になられます(ABNewsTVより)
Daniel Alexandru BERES
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