ルーマニアワインの歴史ルーマニアのワインの歴史は6000年前までに遡ります。ローマ帝国が西ヨーロッパへ葡萄畑の栽培を普及させたと言われていますが、ルーマニアはローマ帝国に征服される前から豊かなワイン文化を持っていました。そのワイン文化は、謎のククテニ文明時代に始まったと言われています。
古代ギリシャ神話のワイン神であるディオニュソス(ローマ神話のバッカス)はダキア王国(現在のルーマニア)に生まれたと言われているほどのワイン文化が古代の次回から根付いていました。 当時のルーマニアは豊穣な葡萄畑が有名だったため、隣国から幾度も侵入されていました。この侵入を防ぐために当時の王が葡萄畑の破壊を命じるほどだったと言われています。しかし紀元前106年にローマ帝国に征服された後、ローマ市民の喉を潤す飲み物としてワイン造りが盛んになり、現代まで繁栄しています。 中世のルーマニアのワイン造りは、18世紀の初めにドィミトリエ・カンテミールという歴史家が出版した「モルダビア史書」(モルダビアはルーマニアの地方名)に記述されています。中世には修道院や教会が運営していたワイナリーが多く、未だに観光スポットとして人気があります。 昔からの独自の製法を継承し続けているルーマニアのワインの品質が高く、18世紀のヨーロッパ各地で絶賛され、ヨーロッパ諸国の皇帝や国王がルーマニアワインを好んで飲んでいたことが有名です。 西ヨーロッパの同様に、19世紀のフィロキセラによって、大半の葡萄畑が破壊されましたが、なんとか困難な時期を乗り越え、多くのルーマニア土着品種も助かりました。 1900年のパリ博覧会で行われた、当時世界最大のワインコンクールで、ルーマニアのワインが大金賞を受賞し、ヨーロッパでルーマニアワインブームが起こりました。 第1次世界大戦と第2次世界大戦の間のルーマニアワイン産業がさらに発展し、世界の市場での存在感も大きくなりましたが、第2次世界大戦にはソヴィエートに破られ、50年間の残酷な暗い時代に入ってしまいました。 共産主義時代には全てのワイナリーが国営化され、ワイン産業は品質生産から大量生産へシフトし、ソヴィエート向けの輸出が始まりました。ソヴィエート崩壊までの50年間ルーマニアワインは世界の市場から姿を消してしまいました。 1989年に共産政権が崩壊し、ルーマニアは民主国家として生き返ってきました。90年代の若い世代の情熱的な努力で、ルーマニアワイン産業は再び高品質ワイン市場へシフトし、どこにも負けないパフォーマンスを見せてくれています。 ベレシュ・アレクサンドル・ダニエル
Daniel Alexandru BERES |